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サード・フォリオとは?

セカンド・フォリオ刊行の10年後、イングランドでは内乱が勃発します。ロンドンの劇場は閉鎖され、その7年後の1649年、国王チャールズ一世は議会派によって処刑されます。議会によって処刑された国王は英国史上後にも先にもこのチャールズ一世のみですが、彼はまた、セカンド・フォリオの所有者としても知られていました。1660年、彼の長男、チャールズがチャールズ二世として英国王に迎えられた王政復古を期に、ロンドンの演劇界は再出発します。シェイクスピア劇もどのような形であれ、1663年までに、『オセロ』、『ヘンリー四世・第一部』、『ハムレット』、『十二夜』、『ウィンザーの陽気な女房たち』、それに『ロミオとジュリエット』が上演されたことがThe London Stage, 1660-1800 (Part 1:1965)により見て取れます。




その1663 年、シェイクスピア戯曲集は再び版を重ねます。これがサード・フォリオ(の1刷り)であり、王政復古後の最初のシェイクスピア作品の出版でもありました。清教徒革命に至る1622年から1641年にかけての20年間には29件(ファースト・フォリオとセカンド・フォリオを含みます)であったシェイクスピア関係の出版(重版)は、革命期、すなわち1642年から1660年までのおよそ20年の間には、たった4件のみでした。ちなみに王政復古後の20年間、1661年から1680年のそれはサード・フォリオの1刷り、2刷りとボーモント・アンド・フレッチャー・フォリオの第二版『二人の貴公子』に含まれる『二人の貴公子』を入れて7件となります(Cf. Andrew Murphy's Shakespeare in Print (2003))。


サード・フォリオ[1刷り](MR 1938)


出版にあたったのは、タイトルページ(写真参照)によればフィリップ・チェトウィンド(Philip Chetwind)です。チェトウィンドはセカンド・フォリオの出版者のひとりであるロバート・アロット(Robert Allot)の未亡人を妻としていましたから、アロットが所有していたシェイクスピア関係の版権を受け継いでいたものと思われます。その版権に含まれないシェイクスピア作品については版権譲渡の記録は見あたらないものの、当時の版権所有者であったエレン・コウツ(Ellen Cotes)とチェトウィンドとのあいだで、何らかの交渉が成立していたとみてよいようです(Cf. Henry Farr, `Philip Chetwind and the Allott Copyrights', The Library, 4th series, 15 (1934-5): 129-60)。

サード・フォリオの印刷は3軒の印刷所によってなされたと考えられていますが、底本とされたのはすぐ前の版であるセカンド・フォリオで、サード・フォリオはW.W.グレッグの言葉を借りるなら、「本文に関する限り、セカンド・フォリオのペイジ対応型リプリントである」ということになります。前付けの部分では、素材は同じものが採用されているものの、レイアウトは大きくかわりました。ミルトンの詩などは単独で1ページを占める扱いに変わり、いわば、格上げされているようです。

チェトウィンドは、翌1664年、これに合計7本の戯曲もシェイクスピアの作として付け加えた増補版を出版しました(写真参照)。それがサード・フォリオ2刷り(1664 年)で、追加された戯曲は掲載順に『ペリクリーズ』(Pericles)、『ロンドンの放蕩者』(The London Prodigal)、『クロムウェル卿トマスの生涯』(Thomas Lord Cromwell)、『サー・ジョン・オールドカッスル』(Sir John Oldcastle)、『ピューリタン』(The Puritan)、『ヨークシャーの悲劇』(A Yorkshire Tragedy)、『ロクライン』(Locrine)です。


サード・フォリオ [2刷り] (MR 733) 画像番号 11





このうち『ペリクリーズ』以外の6本はやがてシェイクスピア作品という範疇からは除外されていきますが、いずれもシェイクスピア存命中に出版された四つ折り本で、はっきりとウィリアム・シェイクスピア作として、あるいは、思わせぶりにW. S.作としてうたわれていた作品です。

フォリオ本で出版された戯曲集に増補版が出た例は、前にはベン・ジョンソン・フォリオの例(初版1616年/増補1640年、1692年)が、後にはボーモント・アンド・フレッチャー・フォリオの例(初版1642年/増補1679年)がそれぞれあります。増補版の出版には、すでに先行版を購入済みの読者にも買い足す、もしくは買い換えることを促す効果を期待するビジネス感覚が当然働いたと考えられますが、オックスフォード大学ボドレー図書館が、所蔵していたファースト・フォリオを手放しサード・フォリオに買い換えたことは有名な逸話です。(手放されたファースト・フォリオは後年めでたく同図書館に買い戻されています。)

『17世紀のシェイクスピア編纂者たち』を著したW. ブラックとマティアス・A・シャーバーは、誤植の訂正や、綴りの現代化などをのぞいて、943箇所の編集介入による改変をサード・フォリオのテクストに見つけています(p. 50)。サード・フォリオの編集作業の実際をブラックとシャーバーの発見から2例をあげて見ることにします。ひとつは『お気に召すまま』第4幕3場でヒロイン、ロザリンド扮する少年ギャニミードがオリヴァーの持参した「[恋人オーランドーの]血染めのナプキン」を見て気絶するくだりです。ロザリンドの従姉妹シーリア扮するギャニミードの妹アリーナは彼[女]を介抱しながらこう言います。

F1,F2   There is more in it; Cosen Ganimed.
F3    There is no more in it; Cosen Ganimed.


この改変は、実ははやくも、1733年のティボールド版以降、ファースト・フォリオの読みに戻されるのですが、シーリアがオリヴァーにロザリンドの変装を疑問視させかねない発言をするのは演劇的にありえず、むしろ、変装の貫徹があやしくなっているロザリンドをかばうはず、と考えたサード・フォリオの編集者が `no'の「欠落」を補完した結果だと、ブラックとシャーバーは評価しています(p. 55)。2006年に出版されたアーデン3版の編者、ジュリエット・デュシンベリー(Juliet Dusinberre)はファースト・フォリオの読みを採った上で、ジョンソン博士の注をのせています。すなわち「シーリアは動転のあまり、ギャニミードの妹役を演じるという自分の役目を忘れてしまっているのだ」と。

もう一つの例、これも『お気に召すまま』から見てみましょう。終幕近く、ハイメンが追放された公爵のもとにロザリンドとシーリアをともないこう告げます。ふたりはこのとき変装を解いた姿で登場すると考えられます。

F1,F2   That thou mightst ioyne his hand with his,
   Whose heart within his bosome is.
F3   That thou mightst joyne her hand with his,
   Whose heart within his bosome is.


この改変ははじめの例とはことなり、その後の編集者たちに踏襲されてきています。アーデン3版でもサード・フォリオが起源であることを校合情報で明記しているとおりです。ただし、デュシンベリーはジェフリー・メイスティンの以下の説を注に加えることも忘れていません。「[ファースト・フォリオの]`his' はオーランドーと少年俳優の手をつながせることをわざわざ意識した台詞で、ロザリンドは婚礼の衣装をまとってはいなかった演出を示唆するかもしれない」。『お気に召すまま』のような少年俳優が演じる女性が両性間を行き来するテクストには、編集者にとって複雑ですが、それだけにおもしろい問題が詰まっているようです。




August 31, 2007

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